「あり」か「なし」か、ではなく「好き」かどうか
ちょっとおばちゃんな感じ丸出しなんですが、言葉尻を捉えてなぁんかもやった結果、一人納得したってお話を少し。
TLを眺めていて気になったツイートがあった。まずは概略。
あるGの担当さんがJショに行ったところ、自担Gの曲が流れた。
すると近くにいた別Gのファンの子たちが「この曲下手過ぎ。自Gしかあり得ない」と言っていた。悲しい。
まぁ横尾担をやっていると多かれ少なかれ似た経験はあるので、自担がディスられるのが悲しい、という気持ちはわかる。
これに対してツイ主へ同G担らしい方々からリプがついていて。
他のGが好きな人もいるんだからそういうことJショで言うべきじゃない。
自Gにもいい曲もいっぱいある。
そういう発言は自担を悲しませる。
うん。この流れも良くある風景。
ただ、なんかもやっとした。これまでいろんなものを好きになってきたけど、好きの在り方でこうもごたつくのはなんでかな、と。
以前、横尾さんのUTAGEのパフォーマンスを「ないわー」と言われていて、自分にしては珍しくイラッとした経験がある。*1 ただ、私にとっては結局「でも私は好き」って思える経験だったので、じゃあなんでごたつくんだ?ともう一回考えた。
それぞれが好きなものを好きと言えばいいじゃん、嫌いな人もいるんじゃない、自分が好きなものが一番、ってのはあるだろうけど、人に不快な思いをさせる必要もないし…
いや、でももやったのはそこじゃない気がする。
意味もなく自分には関係ないはずの一連のスレッドをじっくり眺めて、気づいた。
「好き」「嫌い」を「あり」「なし」で言っているから、私には論点がずれて見えたのだ。
あくまで個人的な解釈だけれど、「好き」とは自分に欠けている部分・心の隙間というか空いているスペースを埋めるもの、だと思っている。だから好きなものといる時は「満たされる」
自分にとって受け入れられるかどうかを「あり」「なし」と言うようになって久しいけど、「好き」とは本質的に違うと思っている。
「あり」は「存在する」、「なし」は「存在をしない」という意味だ。
他の人は好きなものだけれど、自分は受け入れられないを「なし」と表現するから、すごく聞いてキツイんだろうな、と。
他の人が好きなものは「なし」。自分が好きなものしか「あり得ない」
これに対して
自分の好きなものを認めるべき。
と返す。うん、平行線。
最初の場面が「この曲の歌い方、好きじゃない。自Gが一番好き」だったらこうまでごたつかないんじゃないかなぁと、考えて。個人的には落ち着けた。
返しも「でも私は好き」ならもやんなかったな、とも考えた。
「好きになるべき」なんてことはあり得ないとも思うんだ。だってそれぞれの心にハマるピースは違うから。
そんなこと言ったら、私「好きじゃない」ものいっぱいある。
ただ、大事なことは「嫌い」ではないということ。「好き」のカテゴリに入っていない、というだけ。
テレビで言えば、
好き=食い入るようにリアタイする
嫌い=テレビを消す
好きじゃない=何となく流しておく
こんな感じ。
同じ意味で使ってるんだろうけど、ここに自分はこだわりたいなってちょっと思った。
まぁ、私個人の話なので、一人ですっきりした話。
同じ対象を好きだとしても同じ好きの在り方ではないはず。髪型・衣装・表情・パーツ・発言。好きがハマる角度は人それぞれ。
私の「好き」は「私のもの」だな、と改めて思った、って出来事。