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スマさん世代の腐った文字書きが好きなものは好きと無駄に叫ぶ

惹かれたことに途方に暮れる

「そして僕は途方に暮れる」3/31 昼

行って参りました。盛大なネタバレもあるでしょうが、大阪公演終了も近いことですし、自分の整理をつける意味では書いておきたいな、と思います。(舞祭組村もまとめてないのに)

結論から言って、こんなにも好みでないストーリーの作品と、こんなにも好みでない役に、こんなにも惹かれたことはないし、こんなにも抉られたのに、どこか温かく残っている作品に出逢うことは、今までなかった。そんな気がして観劇から2週間が過ぎようとしています。

もともと。藤ヶ谷さんの久しぶりの舞台ということで「行きたいなぁ」と思っていました。
作品のタイトルを聞いて…『そして僕は途方に暮れる』。思い出したのは当然ながら 大澤誉志幸さんのこの曲。まぁ、世代なので好きとか嫌いとか以前に体の中から流れてきた。


ただ、ストーリーを知って、少し気持ちが萎えたのは否定しない。
“裏切り”“怠慢”“孤独” すべての『人間関係』を断ち切り街の片隅で呆然と立ちすくむ、平凡な青年の逃亡記
シアターコクーンの作品紹介にあった言葉だ。

基本的に演劇好きだが、ストレートプレイよりミュージカルが好きだし、人気作でもウィーンミュージカルよりハッピーなブロードウェイミュージカルが好き。劇団☆新感線は好きだけどいのうえ歌舞伎よりRシリーズのが好き。私にとって舞台は虚構として楽しんで笑って、その先に希望と元気をもらうものとして始まっているからだ。そう考えると、絶望を描くその作品を「観たいか」というと少し躊躇した。
まぁそんなわけで二の足を踏むうちに見事抽選には外れ、「まぁ、あんまり好きじゃなさそうだから今度、ね」と諦めようと思っていた。

けれども、その気持ちをがらりと変える出来事があった。
「藤ヶ谷さん????」
それは初日前の囲み取材の記事だった。最近解禁になって掲載されたWebのその写真は、私の知っている「藤ヶ谷太輔」から面変わりしていた。すごく大変、というコメントは読んでいたけれど、まぁそういう作品だよね。そう思っていた。けれど笑顔は変わらないけれどやつれたという言葉が似合うほど輪郭が細くなっている。「ここまでのめり込ませる作品て、なんなんだ?」そう感じた。そうして改めて演出家三浦大輔さんのことを調べる。「愛の渦の人だ!」苦い喜劇、その言葉がぴったりくる作品は心にざらりとした居心地の悪さとどこか不思議な爽快感すらも残す、そんな作品だった。気になる。

公演が始まって、少しずつ評判が目に入ってくるようになる。それは以前とは違った。「アイドル藤ヶ谷太輔」のファンのものではなく、演劇が好きな人達の想像以上の高評価だった。SNSなどを「見せる」という試みもものすごく気になる。舞台演出の仕掛けに弱いのだ。

「観なければいけない」そんな思いが膨らんだ。

以前「TAKE FIVE2」を見た時、藤ヶ谷太輔という役者について書いた。二役を演じる技量はあるけれど、まだ輝ききれていない、と感じていた。その人が、目の肥えた演劇好きにすら褒められている。
「観なければ」その思いに突き動かされて…東京公演の楽日前日1階席、後ろ目だけれど舞台がちゃんと全部見える場所に、私は座っていた。

シアターコクーンに入るのは久しぶりだ。私にとってはコクーン歌舞伎と「蜷川さんの作品を見る劇場」だったらしい。調べたら東山さんの覇王別姫以来だから10年ぶりというのに驚いた。その前が大好きな一年に2度は繰り返す「天保十二年のシェイクスピア」。そういう意味でこの劇場は私にとって帝劇とはまだ別の意味を持つ特別な劇場のひとつ。ここで「藤ヶ谷太輔の芝居」を観る。もうそれだけでわくわくしていた。


前段が長くなったけれど。


ストーリーを語らないと感じたことが残せないのでがっつり以下書いております。

 


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始まりは何の変哲もないアパートの一室。主人公裕一と恋人里美の同棲している部屋だ。ベッドで寝ている裕一と出かけようとしている里美から始まる。
「喋らない」
こんなにも主人公が動かないのを見たことがないかもしれない。「動かない」というのも違う。だらだらと聞き流す。だらだらとやり過ごす。芝居では観ないけれど、普通にどこにでもある嫌なリアル。TwitterFaceBook・LINE…それぞれを確認する画面が舞台情報に映し出される。ただ、その動きに目的はない。あとで彼自身が言ったような「だせぇとおもってRT しようとしたけど共感してると思われると嫌だからやめた」何となくな気持ちの流れだけ。よく、あること、だろう。
ただ、舞台では観たことがない。映画を見るかのような、それでいてすぐそこに息づく役者がいる緊張感に、何も産まないような時間の光景に引きずり込まれていた。

結局寝倒して…里美が帰ってきたところから話は動き出す。何気なく伏せて置いたスマホ。そこから。ちょうど前日ランチを食べた店で意識高い風な男性が連れの女性に「スマホってさ、伏せて置いた方がちゃんと暗くなるから電源食わないんだよ」と語っていた。だから、まぁそれなりに当たり前のこと。
それが、裕一が浮気を隠している、という証拠の一つとして里美が責め始める。よく、ありうること。

ただ、そこからが私の知らないことが起きた。彼女に詰め寄られて裕一がしたことは、荷物をまとめて「出てくわ」その声音に、驚いた。嘘でしょ??
よくある「出てくわ」は不機嫌でイラついたもの、というイメージがあった。けれどそれは後ろ手で扉を探りながら獣を鎮めつつ檻から逃げようとする声。聞いたことのない声と言葉に驚いた。
その驚きは更に畳みかけられる。
更に責められて裕一は言う。「悪かった」こんなにも、反省もなく怒りもやけくそもなく、ただ逃げるための「悪かった」を聞いたことがない。

言葉は。発する時の声音によって、こんなにも…こんなにも別の意味を持つのだとハッとするうち、彼は部屋を出て、背を丸めながら外灯がぼんやりと照らす袖へと歩いて行ってしまった。

これはすごいぞ。目が離せなくなってきていた。

転がり込んだ友人・今井の家で。裕一は本当に嫌な奴だ。まったく悪気なくセブンが遠いことを責め、当たり前のように畳んでもらった洗濯物を即座に放り投げ、朝出ていく音がうるさいと言いながら寝ようとするそばでテレビを見る。綺麗な放物線を描くシャツに笑ってしまうほどに。
家族や気を許した人間についやってしまうであろう、傍若無人。その罪を突き付けられる。結局、それに苛立ち何も解決しようとしない裕一に今井が爆発する。友達、だから。その思いからすら裕一は逃げる。

次に転がり込むのは傍若無人が許されない場所「田村先輩」の家。ここでいやな奴の裕一が本当に愛おしくなる。今井の家では畳まなかった洗濯ものを畳み、捨てなかったごみを捨てる。先輩にやらされているのではなく、「置かせてもらっているから」。「反省してるんじゃん」そんな可愛らしさがある。できないわけでもやらないわけでもない。「やってくれるなら甘えたい」当たり前の気持ちだけでいる人なのだ。知らない生き物だから目が離せなかった裕一が近くなってくる。
ただ。気の置けない友達・恋人と違って、そこから少し離れた先輩・後輩・職場の人間は、やっぱり少しめんどくさいという現実も見せられる。
浮気の共犯だった先輩に浮気相手に連絡しろと酔いながら詰め寄られる。実は自分がやりたかったことであろう道に進んだ後輩に悪気なく「先輩の方が向いてますよ」と持ち上げられる。何でもない時なら、帰る場所があるなら愚痴が言える相手がいるならやり過ごせる、笑い飛ばしてしまえるそんなことが居心地の悪いもどかしさ。どうしようもない現実を思い出させられていると、カッコつけながら裕一はそこからも逃げ出していく。「映画みたいな」その先を目指すふりをして。

次に彼が行く場所は…姉の部屋だ。母と姉。冒頭に見た彼のスマホに最も連絡を入れてきていた相手であり、彼が流れていく中でやり過ごそうとしていた相手だ。決まった流れから外れようとする時、引き寄せてくれそうな相手を求めてしまうのかもしれない。それがどんなに望まない相手でも。ふと、自分が行き詰った時…そいつに連絡しちゃだめでしょって相手に電話しそうになったことを思い出してうろたえた。

姉の香は弟とは違う人だ。リア充と呼ばれるであろうけれど何の身分も持たない裕一と整頓された部屋で夜も仕事をしているたぶん彼氏もいない堅実な香。堅い「実」を取る人。江口のりこさんは「野田と申します」で気になって「校閲ガール」で好きな女優になった人だ。きつく責める口調がおかしみも可愛らしさも見せてくれる。
「私の弟ってこんな顔してたんだ」すいません、「言ってみてぇ!」って思いました。いきなり不断に感情が戻った。息を呑むように記憶をひっかかれながら舞台を見てたので、実はここで息が付けた一番立場的に近いところにいる役のセリフだからこそ、いきなり気持ちが引き寄せられました。裕一君、ほんとだめでむかつくけどこの弟、金の無心さえしなきゃうん、仕方ない、弟だもん、って言いたい。いえ、たいぴさんだからでは…あるな。
香は裕一に容赦ない。それは母が心配とか父への怒りとか自分にはできない…転がり込んでも来ない華やかであろうものを背負ったはずの弟への苛立ちとか、他人にぶつけたいけどぶつけたら負けな感情のように見えた。

当たり前だけれど長居することはなく、それでも「ん」と叩きつけるでもないけど追い払うかのような迷惑をはらんだ声で差し出された金を受け取らず、裕一は…空港…そして母のもとに行く。

優しくて世話好きで「裕一くん」と息子を呼ぶ母。どうしようもない淋しさと誰も失いたくないという必死の自己肯定。ものすごく、動く人。ただ、この母だからこそこの裕一なのだと、納得した。当たり前すぎる幸せの不幸。
変わらずに手を広げてくれている母の寂しさから生まれた変化を目にして、裕一は初めて人に働きかけようとして…失敗する。そして、逃げる。

変わりたくないのだ、彼は。

暗い夜のバス停で…家を出て行った父と会う。転がり込むものだけで想いのまま生きる父に拾われるように彼は父のねぐらに転がり込む。

…ここまでが一幕。事前に筋を知りえたここまでですら息を止めてみていたので、怯え楽しみにしながら二幕に入る。

父のもとに転がり込んだことで、裕一は誰とも連絡が取れなくなる。
舞台を四分割した母・姉・里美・今井の電話のシーンはミュージカルでは時折見るような演出だけれど、ストレートプレイでは難しい。電話の相手の声だけを聴き、その相手とだけ話すのだ。音楽がない状態でそれを可能にしている演出と役者に驚く。

父と裕一のただ流れていく日々は意外に順調だ。順調というのは違うか。平穏。何も起こらない、けれど何となく楽しげですらある。おそらくそれは板尾創路さんの持つ味もあるのかもしれない。男のダメ可愛さがじわじわと満ちている部屋が、裕一と父と…まるっと可愛くてどうしようもない。
クリスマスを祝おうなんて、息子がいなかったら思いもしなかっただろう。家を出て行ってもやっぱり何かが繋がる。どうしようもない、無条件の本能がある。
クリスマスだから、大晦日だから。
そんな風に理由をつけて久し振りに電源を入れたスマホで、母が倒れたことを知る。

ここからが折り返しだ。

当たり前のように駆けつけようとする裕一は一緒に来ようとしない父を責める。「あんたみたいにだけはなりたくないってずっと思ってた」変わるのか?期待させる言葉だ。
走り出した彼がバス停で出会ったのは里美と彼女を迎えに来た今井。ん?そこまでしてくれるの?「いいひと過ぎる」ふたりに居心地の悪さを覚えた。お母さんが倒れたって聞いたから、彼女が来るって聞いたから…裕一と会ったなら…一緒に実家に行く。
母は退院していて、予定通り年末を迎え姉もいる。ここで裕一は逃げ出した相手でありながら繋がっていたい繋がっていざるを得ない人に囲まれる。…囲まれない。食卓に椅子は足りない「いいよいいよ俺はこっちで」あの、逃げる時に使った妙な明るさと意思を持った声で裕一は離れたソファの隅に座る。まだ、逃げたい。でも父と違うと言った。その迷いが空気を満たす。
居心地の悪さは、ちゃんと話を転がしていく。「許さないと決めた」姉を皮切りに彼はどうしたいのか言わなければならない状況になっていく。
「お願い」前田敦子ちゃんの発する里美のこの言葉が、ものすごく響いた。懇願するでもないのに、ゆっくりとはっきりと、言わなければいけないと裕一の言葉を求めていると教えてくれた。

裕一が何を言ったのかは覚えていない。「なんか」「なんか」逃げたい、でも繋がっていたい、手を差し伸べてくれる人、父と違っていたい自分。たぶん整理がついていない、その感情を丸めた背中と繰り返す言葉が教えてくれる。ダンゴムシ。つつかれて転がって丸まりかけてもだもだと脚を動かす姿にどこか似ていた。丸まってしまえばいい。それ以上攻撃はされないからのびのびしてしまえばいい、そう思うけど…

この舞台で、唯一、腹に落ちていないのは、その後、4人が裕一に何と言って次の時間へと移ったのかが描かれていないことだ。「わかった」なのか「もういいよ」なのか何も言わなかったのか。それでストーリーの意味はずいぶん変わる。想像で補えというには筋が通らない。ここまでが暴力的なまでにリアルだっただけに、もやっとした。

暗転して時間は流れていて、何事もなかったように里美が帰っていて今井が帰る。「いいやつだな」「そうでもないかもしれないよ」中尾明慶君らしい照れたようなおどけた声で言い残して。

そこにふらりと父が帰ってくる。生命保険があったことを思い出したなんて言いながら。可愛い。
家族4人が揃った光景は面白い。対極にいるであろう父と姉がものすごく似ている。声を発する人。母と裕一は流す人。血という繋がらざるを得ない人達…家族というものが、人を形作る環境となるのだと思えたシーンだった。

東京に帰った裕一の動きは出て行った時の逆回しだ。荷物を置いて服を脱いでベッドに身体を投げ出す。
変わらない日常に戻って、人間として逃げないことをどこか決意しながら、帰宅した里美を迎える。まぁ、いつも通りベッドでだらりと。

でも、突き付けられたのは逃げたことへの代償だった。里美と今井。たぶん、裕一が自ら繋がっていたかった人達。その二人からの手は離されていた。彼らが裕一を迎え入れたのは贖罪であり、自己肯定でしかなかったことがわかる。

「ごめんなさい」
泣き崩れる里美に裕一が言う。
「出てくわ」
話の始めがフラッシュバックする。出ていく裕一の動作は同じだ。バッグを取り出し荷物を入れ、ふらふらと玄関を出ていく。感情も何もなくこの場から逃げるため。ただ、声の色は違う。逃げるというより「戻る」という希望が絶たれた声だ。

外に出た裕一は田村先輩と後輩の加藤に電話する。電話のシーンで怒り狂っていた田村先輩は「戻ってくんなら俺が口きいてやっから」なんていい奴な感じだ。以前の裕一同様、その場の空気に流されてそれでも一番自分が居心地が悪くない態度をとっただけなのだろうけれど。加藤はやっぱり裕一を追い詰める。ストーリーの結末はできたのかと。
「まだ続いてんだわ」
裕一が電話を切って振り返ったその先…それまで暗かった夜の待ちの片隅を表していた舞台の奥には、明るい昼の街が広がっている。裕一はふらりとでも確かにそちらに向かって歩き出し、芝居は終わる。
聞き慣れたあのイントロとともに。
「そして僕は途方に暮れる」
この曲、流すんだ。懐かしくも軽やかで切ない大沢誉志幸のハスキーボイスを聞きながら、裕一君の未来を思った。
途方に暮れながらも明日は来る。

彼がそのまま絶望して姿を消したともとれる結末だけれど、搬入口を開いた紗幕の向こうの光景が当然のことながら本当の「当たり前で明るい普通の光景」で。彼が違う一歩を踏み出した、そう思えた。
「昼に見られてよかった」「夜だったらどんな感じだったのだろう」そんな清々しさと彼の幸福を願う、終わり方だった。

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うん。観て、よかった。 ====
さて。ストーリーをがっつり追ったので、役者・藤ヶ谷太輔という人のことを書いておきたい。今回のお芝居、本当に演出も技術も、他の役者さんも丁寧にきっちり、でも魅力的で新しかった。

だからこそ、タレント藤ヶ谷太輔がひいきになっているから、あえて藤ヶ谷太輔だけに絞って書いておく。

カーテンコールは淡々としていた。キラキラしたアイドル藤ヶ谷太輔ではなく、裕一の抜けきらない役者・藤ヶ谷太輔を中心として、惜しみない拍手が贈られていた。

この一年くらい、藤ヶ谷さんがもがいているな、そう感じることが多かった。
アイドルとして、役者として、タレントとして、どうありたいのか。

グループとしてまずはメンバーを引っ張る。そんな自己に課した責任とフェーズから抜け出せたからこその贅沢かつ一番苦しい悩みなんじゃないかと思うものを雑誌のインタビューだったり、少しずつ可愛らしさや面白みを解放しはじめた姿から感じるのだ。
たとえば「赤い果実」のメイキングで。「歌が巧くなりたいんですよ」ものすごくシンプルな照れくさそうな一言が彼の欲を垣間見せた。
「演技が巧くなりたいんですよ」にも通じる言葉だったと思う。

DVD化されていないけれど、そういった意味で「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の正太郎を私は歓喜して見ていた。カッコよくない、新しい表現を求められている役者・藤ヶ谷太輔
新しい彼の魅力を出すという意味では成功していたけれどでも、シリアスなシーンでは「巧い」ではまだないのか?そんな中間地点。

それから1年。

藤ヶ谷太輔という役者にこんなにも合う役と作品で彼を観られたことに感謝している。
以前、彼は月のような役者だと書いた。月のような役者でなければできない、役。受け身だけれど受け止めない自己のある演技ができないとこの作品は死ぬ。書かれたセリフを場と感情を理解して気持ちを込めるのではなく、気持ちのままに表す技術がないと作品の意図とストーリーが何の変哲もないつまらないものになる。

作品に彼が出会ったのか、彼に作品が出会ったのか。そこはわからないけど。

「その役者でなければできない作品」に出逢える人はたぶんかなり少ない。でも「そして僕は途方に暮れる」は今の、行く先を見定めようとしていた役者藤ヶ谷太輔だからこその芝居、だったと思う。今の彼にしかできない、彼だからこそ演じることのできた菅原裕一という役が息づいていた。

TAKE FIVE2のパンフレットで彼が言っていた言葉を思い出した。
「(目標は)絶対に藤ヶ谷太輔でなければこの作品はやりませんとたくさん言っていただけるようになること」。
この作品は間違いなく、この2年という時間をもがいた役者・藤ヶ谷太輔だからできたのだと思う。

藤ヶ谷さんのことはとてもとても好きになっているけれど。私は以前こう書いた。
「主役なら、自らの心を開き吸収するだけでなく、観客の心をもこじ開け、その存在と作品を染み渡らせろ」
三浦大輔、マジで、すごい芝居を作る人だな、と改めて思いつつも、たぶん藤ヶ谷さんが裕一を演じなかったら成立しなかった芝居だとも思う。
悔しいことに、藤ヶ谷さんのことにまったく興味がなかったとしても今回の演劇評を見ていたら、私はたぶんこの作品を見た。そして悔しいことに、こんなにもこんなにも好みでないストーリーの作品と、こんなにも好みでない役に、やっぱり惹かれていただろう。
事実今、そうであるように。



もう一度言う。観てよかった。

そして、役者・藤ヶ谷太輔として得たものが、今後のタレント・藤ヶ谷太輔…そして彼が戻る場所「Kis-MyFt2」全体の財産としても花開きますようにと願って…ぱにたん。