mirror_box

スマさん世代の腐った文字書きが好きなものは好きと無駄に叫ぶ

気味の悪さの在処

Twitterを眺めていて、「あたしおかあさんだから」という曲のあたりでざわついているのを見かけた。
フォロワーさんは「おかあさん」である人が多いので、「気持ち悪い」という人が多い。
いろんな論争があって、それぞれの立場の人がそれぞれの感じ方でいい、そう思う。

ただ気になったのは、「おかあさん」ではない私すら、もやもやする気味の悪さは何なのだろう、と思ったことだ。

 


作詞者がいうようにお母さんのすごさを書いたからなのか? 私にはできない、というコンプレックスを書かれたせいなのか? …そうではない。
私にとって、母はあの歌に近い人だし、とてもそれを楽しんできた、という人である。すごいなぁ、ありがたいなぁと思う。
けども。その母が、この歌を聞いて感動して泣くか、と考えると疑問符が出る。「お母さんのことみたい!聞いて!」…言いたくない。

むしろ、母の性格からすると「ほんとにさー!」そういってぶつぶつと文句を言いだすかもしれない。
幸せであることを認めている人が、愚痴を言いだす、それっておかしくないか?

なんなんだろう、この「なんか変」という気持ち悪さは。


そんな事を考えながら、つらつらTLを眺めていたら、「おかあさん」を「社畜」に変えたツイートを見かけた。


これを読んで、何となく瓦解した。

これを書いた人も、歌ってる人も、「おかあさん」ではないことが原因なのだ。


数年前まで、たぶん私も社畜といってもいい働き方をしていた。現場から離れて自分で時間がコントロールできるようになってあれはおかしかったな、そう思うけれど、あの働き方の頃、つらいと思うことが多かったけど、それなりに自分で力を生んで乗り越えることはできていた。

あの頃、嫌いだったのは手伝いもしないで「そんな働いて凄いですね」という人と、「そんな働くなんておかしい」っていう人だった。
そういうくらいなら手伝えばいいし、おかしいと思うなら正しいことを教えてくれ、そのくらいの追い詰められ方はしてた。

実際、楽しい・幸せだと思うこともあったのだ。

それは仕事の結果が出た時だったり、関わった人が喜ぶ顔が見えたりした時だったし、今のようにあの時の頑張りが今の仕事に繋がった時だ。

ただ、何も言わず一緒に仕事をしてくれたり、お疲れって言ってくれたり、正しいやり方を教えてくれたり、仕事に結果にありがとう、と言ってくれれば幸せだった。

ただ、ここで重要なのは、その楽しいが生む幸せは「私だけの、私のものの幸せ」だということ。


たいへんだね!って大声で言われるのも気持ち悪い。私だけの幸せを「幸せだよね!」って言われるのも土足で踏み荒らされるようで気持ち悪い。



今回の歌の気持ち悪さはそこだなぁと、置き替えたらようやく胸に落ちた。

もう一度言う。ご本人の真意はわからないけど、私にとっては、これを書いた人も、歌ってる人も、「おかあさん」ではないことが気持ち悪さの原因だ。

先ほどのツイ主さんの後のツイを見るとちょうど考えていたことを言ってらして、思わず笑ってしまった。

あの頃、上司や仕事相手に「君の頑張りを称えよう!」とか言われたら、人増やせ、仕事振るな、とおそらく殺意を覚えたと思う。
「おかしいよね、ごめん」「頑張ってくれたんだ、ありがとう」そう言われたから乗り越えられた。

ましてや。今回の「おかあさん」に対していうなら。「おとうさん、讃えてるのもおかしいし、おかしいって言ってるだけも変じゃね?」ってとこだ。
そしてそれを涼しい顔で「お母さん頑張れって応援歌です!」って澄まされちゃうと……うん…気持ち悪い。

例えばこれが、おとうさんからの「そんな君にごめんね、ありがとう」って歌詞であったり、女性が歌って「おかしいよねあはははは」だったら、こんなに気持ち悪くなかったんだろうなぁと、ようやく腑に落ちた。


こどもを持つも持たないも、働き方もなにもかも、人それぞれの思いや事情があるので「皆にとってのより良い方向」はあっても、「すべての人にとっての正解」はないと思う。


ただ。私個人としては。自分がどう考えてんのかってことだけは整理しておきたいんですよ。ただそれだけです。


 

==== 追記。

気持ち的に一番近かったのはこれかなぁ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanomadoka/20180205-00081263/



まぁなんにせよ。

「おかあさんていいにおい」って歌が、お母さんはお洗濯して卵焼き作るって言う前提に満ちてるけど、子供の目線だから子供が歌ってものすごい可愛いのに対して。
お母さんじゃない人がお母さんたいへん!すごい!ってお母さん目線で言うのがもやっとするし、もやっとするものを「もやっとするもの」としてじゃなく「感動するもの」として提供されるから、もやっとすんだな。