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スマさん世代の腐った文字書きが好きなものは好きと無駄に叫ぶ

「大奥」テレビ版は結構好きだ

よしながふみ、という漫画家の作品は、たぶん特別好きな部類に入る。

最初の出会いは「西洋骨董洋菓子店」。リアルな人物造形や独特のテンポ、紙面の中に流れる空気感が「特別好き」を後押ししている。
好きな作品はいろいろあるけれど、「大奥」を読んだ時は衝撃と「待っていたものを読めた」そんな不思議な感覚を覚えた。男女逆転という発想が突飛にならず丁寧に描かれている。ジェンダーだなんだといろんな場面で語られているので、あえてここでは書かない。ただ、私にとっては、その中で確かに息づく人物が魅力的だったからだ。
なぜ、その人物はそこにいて、どんな行動原理を持っているか、そしてどんな表情をしているのかというのは、作品を愛でるうえで重要な要素だからだ。

で、映像化。好きな漫画の映像化はあまり期待しない。キャスティングのイメージが、どうしてもかけ離れてしまうからだ。
特に映画版は、私に衝撃をもたらした「水野」があまりに違って、どうしても受け入れられなかった。二宮君が悪いわけではない。彼の佇まいは好きだ。おそらく、「水野」の内面のみを表現するのであれば、ぴったりだ。
だが、彼の最大の特徴である気風の良さ、潔さには足りないのだ。

今回、ドラマ化・映画化プロジェクトの話のときは「もう、ほんと勘弁して」と正直思った。いやならみなきゃいいのだけれど、映像でしかできない表現で語られてしまう、その奥まで知りたいのもファン心理だ。

そういう意味で、今回のテレビ版は見終わった後、拾い物だと思った。
堺雅人さんの有功は少し柔らかすぎるが、まぁいい。演技と外見を両方求めると、着地はここと見た。

拾い物は、脇。一話では玉栄の田中聖君と明慧の駿河太郎さんなのだ。
まず、一話で出番の終わってしまう駿河さん。彼ののんびりとした明るさは、原作とは違うけれど有功の人物をを表現するのに役立っていた。民を慈しむ行いが、いかに突飛であきらめてしまわざるを得ないほど真摯であるか。一緒に逃げ出してしまうほどのいたずら心、そして隣にいた者がふと殺されてしまう恐怖。
田中くんは大金星だと思う。やんちゃっぽさ、恋情にも似た有功への思慕、真実を見極めるような大きな目。それが曇っていく末路を知っているだけに悲しい。見た目も表情も想像していたままの玉栄で、うれしくなる。彼だけで見る甲斐があったというものだ。
おかげで、見続けられそうだ。