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スマさん世代の腐った文字書きが好きなものは好きと無駄に叫ぶ

今更だけど

今更だけど氷室冴子さんの訃報に接して。

ここのところ札幌に行く機会が多いので読み返していた矢先だったのでかなり驚いた。幸いか、未完の作品に手をつけてなかったし、この20年近く新作も無かったので、もう彼女の新しい作品を読むことはできないと少し覚悟はしてたけど、やはり寂しい。

彼女の作品は私にかなり大きな力を持っていたと思う。

すすきの、中島公園ポールタウン…先日札幌を自転車で回っていて、その空気がうれしかった。クララ白書などの一連の札幌舞台作品、それが私にとっての「札幌」だったから。

とりかへばやという作品も知ったし、ジェーン・エアという作品に触れたのも氷室冴子作品があったからだ。そうだ。初めて買ったのは「シンデレラ迷宮」だった。その後少しして、友人が「ジャパネスク」を買ってきたんだ。小説舞台のギャップに驚きつつ、すぐになじんだ。
氷室作品の女のコは弱いのに潔い。口汚かったりするのに繊細。でもふてぶてしくめげない。一等好きなのは「恋する女たち」の多佳子だ。深夜胡坐をかいて壁を凝視める。言葉の意味を改めて意識させてくれた小説はたぶんこれが最初だったと思う。彼女の言葉に対するこだわりやその言葉の持つ音を活かした独特のリズムに触れると、古典文学の言葉も生き生きと身近になっていた。花びらのクッションや喪服にレモンといった上等の美意識があるのに、それをあざ笑う覚悟もあった。世界は深く彩りに満ちているのに、明るく軽やかだった。

コバルト文庫の隆盛期、まさに私はそのターゲットとする世代にいた。今回の訃報から周りにいる子達と話をしていたら、ほんの3つぐらい年齢が違うだけで、氷室冴子を知らず、花井愛子や折原みとが中心で、いいとこコバルトは藤本ひとみという子達がいた。「ティーンズハートがメインだったんですけど、それと同じですよね」 私とひとつ年上のアシスタントは強く主張する。
「違うのよ」違う。あの当時、新井素子がいて氷室冴子がいて田中正美がいて、正本ノンはほとんど読まなかったけど、少し遅れて久美沙織がいて、藤本ひとみは盛り上がったけど少し意味が違った。SFなのかエロなのかリリカルなのかコメディなのか、おしゃれなのかハイソなのか。でもどんなに違っても。ひとついえたのは、数行読めば「この人の作品」といえる空気があった。そういう作品にあの頃会えたことは財産だと思う。

彼女の作品はなぜか私の中でいつも愛しいところにいる。
それはもうリアルに生み出されることはない。私にとってのあの頃と同じに。
心からご冥福を祈るばかりだ。